適塾探訪記
適塾からは、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内など明治維新に活躍した多くの人材が輩出されている。一つの学塾から溢れるように新しい時代を作る人々が生まれていったのはなぜか、少しでもその息吹に触れてみたくなり、大阪淀屋橋の史跡・重要文化財適塾を訊ねてみた。
緒方洪庵は、天然痘やコレラの
予防に人生を捧げたことで知られる医学者でもあり、沢山の蘭書を翻訳・研究した優れた蘭学者でもあった。そして、多くの若い人材を育んだ教育者でもあった訳だから、どれほどの知性と人格を備えた方であったのか、ほんとうに驚嘆する。適塾脇の緒方洪庵像に対面していると、日々業務に追われて目先のことに翻弄されていることが恥ずかしくなってくる。
適塾内には貴重な展示品が多数あり、受け付け脇の部屋には、福沢諭吉の自書の掛け軸があった。思わず姿勢を正してしまう。
ここは食堂として使われた部屋で、壁ぎわには二階に続く階段がある。しかし、階段と言っても梯子のように急である。ここで学び、明治維新をもたらした若者たちは急な階段をものともせず、溢れるばかりの元気さで上り下りしたのだろう。
社会科の教科書で見覚えのある「解体新書」が展示されていてびっくりした。
蘭書の読解のために塾生達が使用したのがヅーフ辞書と呼ばれる蘭和辞書であり、非常に貴重なものであった。それが置かれているヅーフ部屋では、塾生達は奪い合うように猛勉強し、夜でも灯りが消えることがなかったという。福沢諭吉は述懐して「凡そ勉強ということについては、このうえにもしようも無いほど勉強した」と言ったという。
塾生大部屋の柱には、無数の傷跡が残っていて、その当時の熱気を感じさせる。もし、適塾の塾生たちがここに来ずに、一人で学んでいたらどうだったろうと考えた。あれほど多くの人たちが歴史に名を残すことはなかったに違いない。適塾には、私心なき志のもとに、学問を追究し、世のために尽くすという揺るぎない姿勢があり、その風土の中で沢山の若者が育まれた。それがいかに素晴らしいものであったかは、適塾が輩出した多くの人材が為した働きをみれば疑う余地はない。洪庵によって作りだされた適塾の風土が、塾生の志を引き出し、一人ひとりの本来の働きに向かわせたのだろう。





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